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NEPEMCO(ネペムコ)
NEPAL EDUCATIONAL MEDICAL CULTURAL ORGANIZATION
ネパール教育医療文化協会
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●ネパール紹介●
ネパール概要
ネパールはインド亜大陸とチベット高原を隔てて聳えるヒマラヤ山脈を背にして、その南側に東西に細長く横たわる三国である。ヒマラヤからインド平原に至る山岳丘陵地帯が国土の80%を占め、他の20%はインド平原に続く広大な平原となっている。このタライ平原と呼ばれている平野は、ネパールの穀倉地帯でもあるが、インドと同様に暑さは厳しい。
タライ平原からサブ・ヒマラヤと呼ばれる中部山岳丘陵地帯に移る山裾は熱帯性ジャングルに覆われ、虎や像、鰐などその他の野生動物も多く棲息しており、北方のヒマラヤの峰々と相俟って、ネパールの自然の多様性を示している。
サブ・ヒマラヤは、山並みが波頭のように続き、錯綜した山また山、谷また谷の世界である。こここそ、ネパールのもっともネパール的な世界である。そして、これが遙か北方の白雪と氷に輝くヒマラヤにつながる。
首都カトマンズは、平地を探すのに困難なサブ・ヒマラヤの中にあって、めずらしく大きなカトマンズ盆地の中にあり、周囲を緑濃い山々に囲まれ、その彼方にヒマラヤ連峰を見渡せる風光明媚なレンガ造りの都市である。そして、昔ながらの文化と伝統を守ってイとまれている住民の生活と、彼等が織りなす素朴な生活の模様は、世界のすう勢となってしまった物質・科学文明社会の中で、特異な価値ある存在であるように見受けられる。温暖であった中部丘陵地帯から、ヒマラヤの山岳地にかけての自然の変化はさらに著しく、開葉樹への景色がどんどん変わり、やがて寒冷不毛の地帯から氷雪の世界に入る。隆期した大地を、巨大な斧で立ち割ったような氷壁と溪谷は世界に類を見せない美しさを持っている。
●ネパールの地理
ネパールは軽度80°‐15′から88°‐15′、緯度26°‐15′から30°‐30′(沖縄と同じ経度)の間に横たわり、従って東西に約850キロメートル、南北に約200キロメートル、の巾を持つほぼ長方形をした国土であり、その面積は147,181平方キロメートルである。この面積は北海道の面積の約2倍に相当する。北辺ヒマラヤ山脈を境としてチベット(中国)に接し、東はシッキムと西ベンガル(インド)との間に境界をもち、そして南辺と西はインドのビハール州とウッタルプラデス州に接している。
インドに接するタライ平野は、インド平原がそのままネパール領土になっているので、海抜は100メートル以下のところもある。その平野の北限は、しわリーク山脈と呼ばれる標高600メートル程の礫層でできた丘陵地帯になる。これからさらに北方に向かってサブ・ヒマラヤ山脈にはいる。この地域は標高3,000メートル前後の頂きを持つ山々が連なり、もっともネパール的な特徴ある風景、生活が展開している。カトマンズ盆地、ポカラ盆地はこのサブ・ヒマラヤサブ・ヒマラヤに存在し、標高はそれぞれ1,350メートルと900メートルである。山岳はさらに北に向かって高度を上げ、北辺に至って一気二ヒマラヤ山岳地帯になる。
河川は、山と溪谷の国ネパールであれば当然のことであるが、複雑に組入って流れている。しかし、その流域は大きく三つに分かれていて、その本流は東からコシ、ガンダキ、カルナリ川と呼ばれている。これ等はいずれもガンジス川に流れ込んでいる。
●ネパールの気候
ヒマラヤの国ネパールと云えば、寒冷地を想像しがちであるが、実際には、亜熱帯に区分されてはいるが酷暑のタライ平野があり、さらには中部山岳地帯にある首都カトマンズでさえも丘陵気候はまったく温暖である。しかし、標高4,000メートル以上ではさすがに寒冷地となり、5,000メートル以上では氷雪の世界となる。従って、一般に旅行者の訪れる地域は、むしろ厚いと思われることの方が多い。年間の気候の推移は日本と同じで、夏の期間に当る6月から9月は雨期(モンスーン)になり当然雨が多いが、他は乾期として区分されていて、雨は殆ど降らない。冬の季節はやはり12月から2月にかけてであり、3・4月は春らしく、10・11月は秋の気配である。一番暑く感じられる時季は、モンスーン前の5月である。しかし、ともかく標高差がある国であり、場所によって気候・気温は下記の如く著しく異なっている。
タライ地方: 気温は非常に高く、40℃以上になることも希ではない。モンスーン期は湿気が多い。
中部山岳地方: 温暖な亜熱帯性気候で、夏は日本の夏より涼しく、冬は日本の冬より格段に暖かい。
ヒマラヤ山岳地方: 当然のことであるが、冬は羽毛服が手放せないような寒さとなる。他の季節にしても暑いと思われるような気温にはならない。
全体に大陸性気候で、日中と夜との気温の差は大きく、また落ち着いた天気の周期がある。乾期である秋から冬にかけては快晴が続き、澄んだ空気と蒼空からは暑いと思われるほどの日光がさんさんとふりそそぐ。旅行者の多く訪れるカトマンズでは、日中はシャツで充分間に合う日が多いが、朝夕の冷込みがあるので上衣が必要である。特に12月から2月にかけては、朝夕セーターがほしいと思われる程に気温が下がる。モンスーン期は雨が多く常に雲が湧いていてヒマラヤの眺望は望めない。
●カトマンズ盆地の気温
月
気温〔℃〕
雨量
〔mm〕
最 高
最 低
平 均
1月
22.2
-3.0
10.5
21.2
2月
23.9
-1.1
13.5
16.1
3月
25.6
2.2
17.9
30.6
4月
28.9
5.6
23.9
48.1
5月
32.2
10.6
25.1
76.8
6月
35.0
16.1
25.8
228.6
7月
31.1
18.3
25.1
295.7
8月
30.0
18.9
25・0
194.4
9月
31.1
14.4
24.5
98.5
10月
28.3
8.9
22.0
62.3
11月
25.6
2.2
17.1
4.6
12月
22.8
-3.3
12.6
2.1
●ネパールの歴史
ネパールは古い歴史と優れた文化を持っている。現在ネパール暦1131年に当るが、カトマンズ盆地は紀元前から開けていたと云われ、そこには早くから円熟した文化の開花が見られた。ただネパールの歴史に触れるに当って注意すべきは、現在のネパールの領土が決定したのは18世紀後半であって、それ迄ネパールと云えばカトマンズ盆地を指していた。(現在もカトマンズ盆地の外の山地民はカトマンズに行くことをネパールに行くと云っている)ともかく、ネパール史の時代区分は次のように行われている。
古代: 神話時代からリッチャビ王朝(Lichhavi Dynasty)の終わりまで。リッチャビ王朝は西暦4世紀にインドからネパールに入った王家によって興されたと云われる。その初期はインドのマガダ国の属国であったが、4世紀の終わり頃、マーナ・デバ王(Mana Deva)によって独立した。
中世: 13世紀から18世紀中葉にいたるマルラ王朝(Malla Dynasty)と各地の土候(Raja)の分立時代をさす。13~14世紀にかけ、インドとチベットを結ぶ貿易と、肥渓なカトマンズ盆地の地味によって盛えたネワール族によって、ネワール文化と呼ばれている文化、美術、建築はこのネワール文化のことであり、王宮を中心とした都市の形成・発達もこのころに行われた。
近代: シャハ王朝(Shah Dynasty、いわゆるグルカ王朝)による国土統一(B.S.1769年以降)から、それに引き続き行われたラナ家専制政治の時代。
シャハ王朝の初代王であるプリティビ・ナラヤン・シャハ(Prithvi Narayan Shah)領土国家建設の意図を持ち、東西南北に盛んな軍事活動を起こし、以後3代にわたって建国がなされた。しかし、1846年宮廷内の政争に乗じてラナ家による独裁政治が始まり、それが1951年まで続く。ラナ家は丁度日本の徳川幕府に似た世襲制の将軍(Maha Raja)をおき間接的な君主国としての統治を行った。この間、鎖国政策をとっていたのでネパールが開国されてまだ60数年たったのみである。
現代: 1951年の王政復古以降をさす。ラナ家専制政治から、再びシャハ王朝に入り、1960年迄一時政党政治も行われたりするが、1960年国王親政によるパンチャヤット政治と呼ばれるネパール独自の政治体制がひかれる。2008年に盛んに行われた民主運動により王政に代わり民主共和制がひかれている。
●ネパールの民族
ネパールの総人口は2804万人(2010年、ネパール政府中央統計局推計)であるが、住民の種族は驚くほど多く、またそれについて多種多様な生活様式と言語を持っている。カトマンズ盆地に都市を築き、美術工芸や商業二特別な才能を発揮してきたネパール文化の担い手であるネワール民族、中部ネパール山岳地帯に住むグルン族、マガール族、日本人と似た顔の東部山岳民族であるライ、リンブ―、スワール族、そしてヒマラヤのタイガーと呼ばれる登山で名高いシェルパ族、その他タカリー、タマンなどの山地民族、そしてアーリヤン系のブラーマン、チェットリ、その他インド平原のベンガル、タル族など数え上げたら枚挙に逞がないほどである。種族が違うことをカーストが違うと云っているが、カーストが違えば結婚はしない。一般に山岳住民はモンゴリヤ系であるが、南に下るにつれてインド的になりアーリヤ系が多くなる。
●ネパールの宗教と文化
ネパールの主な宗教はヒンズー教と仏教である。カトマンズ盆地の大多数を占めるネワール民族の間にあってはヒンズー教と仏教徒の混希があるが、アーリアン系では純粋にヒンズー教である。チベット系住民の間ではラマ教(仏教)のみが浸透しており、ヒンズー教との混希はない。一般に住民の信仰心は厚く敬虔であり、従って宗教的祭り事も多く毎日のように何処かで何等かの行事が行われているほどである。
ヒマラヤ山地の地べと系住民を除いては、ネパールはヒンズー教文化圏に属している。前述のように一般にネパール文化はネワール文化と解彩することが出来る。それはカトマンズ盆地に、住民を含めいろいろなものが持ち込まれ、そこでカトマンズの穏やかな風土に合わせて醸成された文化であると云うことが出来る。それらの特色はレンガと木材による建築や、それにほどこされた彫刻、そして神社仏閣で埋まるほどに見える都市の構成、住民の風俗と習慣、穏やかな考え方に顕著に表れている。
●ネパールの言語
ネパールの国語はもちろんネパール語である。本来これは言語学的にはヒンディー語と云うインドアーリヤ系の言葉であり、サンスクリット語の流れをひいていて、またヒンディー語にも似ている。しかし、ネパールは多民族国家であり、それにつれて言語の数も著しく多い。そしてネワール語、シェルパ語から始まり各民族は独自の言語をもち、現在も民族内では民族の言葉が日常的に使われている。従って、このヒンディー語を母語としてきたアーリヤ系のブラーマンやチェットリを除いて、かなり多くの人たちは二重言語生活に生きている。たとえばカトマンズ市街地の商店などで使っている言葉は、ネパール語ではなくネワール語であり、そして彼等は一様にネパール語も話している。文字にはデヴァナーガリ文字が使われている。高等教育は英語で行われるので、かなりの人達は英語を流暢に使うことが出来る。
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